原口清先生記念研究奨励制度受賞作品

第2回(2024年)「原口清先生記念研究奨励制度」の募集を開始します!

 静岡県近代史研究会は、昨年度、「原口清先生記念研究奨励制度」を設け、毎年度優れた地域史研究の成果(著書・論文等)に研究奨励金を授与し、今後の研究の発展に役立てていただくこととしました。これにより、特に次世代の研究者を(ささやかではありますが)支援することができれば嬉しいかぎりです。今回は2回目の募集となります。応募要領は以下のとおりです。奮ってご応募ください。

  • 研究成果は、静岡県域を対象とする近現代地域史研究であること。
  • 会員・非会員を問わず、どなたでも応募可能です。ただし、非会員の方が受賞される場合は、事後、本会への入会をお願いします。
  • 既発表論文だけでなく未発表原稿でも応募可能です。
  • 研究奨励金は1人5万円です。毎年最大2名に授与します。
  • 受賞者には本研究会の例会で報告をお願いします。
  • 募集締切:2024年6月30日(日)。 *7月幹事会で審査、10月総会で審査結果発表。
  • 応募方法:電子メールでご応募ください。

メール送信先:jlshashi●gmail.com(●は@に変更してください) 

*件名に「研究奨励」とお書きください。

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 本会は、2022年10月、初代会長・原口清先生のご遺志を受け継ぎ、静岡県地域史研究の発展に資することを目的として、原口清先生記念研究奨励制度を立ち上げ、その年々の優れた研究成果に対して、些少ながら研究奨励金を授与することとした。2023年10月、第1回の受賞作品が決定した。以下、その受賞作品と受賞理由を紹介する。

第1回(2023)受賞作品1 

伊故海貴則『明治維新と<公議>―議会・多数決・一致―』(吉川弘文館、2023年)

 本書は、明治維新以後なぜ人々は「多数決」による決定に従うようになったのかという問いを立て、この問いに対して<合意形成のあり方の変容>という観点から「解」を得ようとするものである。

 そこで、著者は、合意形成のあり方に関して、従来の「公議」に関する先行研究(尾佐竹猛、稲田正次、原口清、三谷博、三村昌司、奈良勝司など)を整理し、さらにそれが社会構造のあり方と密接に関連することから地域社会論(久留島浩、谷山正道、藪田貫、奥村弘、松沢裕作など)についても研究史を概観し、自らの課題を次のように措定する。すなわち、これまでの研究では、県会の下位機関にあたる議事機構(大区会・小区会・町村会)における多数決導入と議事の実態は検討されておらず、大区会や小区会で多数決を混乱なく受け入れられるのかは未解明のままである。そして、多数決がどのような経緯を経て地域社会に定着し得たのか――著者は、多数決が定着した社会を<近代的合意秩序>という――を明らかにするためには、当時の地域社会が直面した社会の変容過程に即して検討することが求められる、と。

 この課題を解明するため、著者はおもなフィールドを静岡県域に定め、韮山県の「全国集会」(明治2年)、足柄県の小区会、大区連合会議(明治7〜9年)、浜松県民会、小区連合民会(明治9年)、静岡県駿河国地租改正の実施過程(明治6〜13年)、城東郡中内田村会(明治12年)などについてきわめて綿密な地域史資料の調査と分析を行った。

 その結果、著者は、次のような結論(仮説)を得た。①近世以来の村請制的性格の村(利害を共有する身分団体)が維持されている時期には、新たに設置された小区会の代議人は村の委任を受け、村の意思を代弁する存在であった。そのため、多数決の採用は批判を招くこともあった。②明治13年地租改正の完了によって個人(家の男性戸主)の土地所有権が公認され、村請制が解体されると、村は従来の「利害を共有する身分団体」から「個人の同質性と多様な利害の存在を原理的に認めた地域団体」へと変容した。③これにともない、従来の全会一致に代わる新たな合意形成、すなわち多数決による町村会の設置が必要となった。こうして近代的合意秩序が「成立」した。なお、その「完成」は明治17年地方制度改革によるとされている。④同時に、地租改正後の村では、個人間の共同関係を再構築し、構成員相互の<一致>を目指す試み(村規約の制定など)が出現した。それは相互監視と相互扶助の同居する共同関係の再構築であった。⑤かくして村では、政治社会(③)と市民社会(④)が分離することによって近代社会が成立した。近代の村とは、地租改正による村請制解体を経て、利害の異なる同質な「個人」の存在を前提に「多数決」を規範化させた、個人の間で取り結びなおされた「共同性」の領域であった。

 以上述べてきたように、本書は、先行研究を丁寧にリサーチして自らの課題を明らかにし、静岡県域の地域史資料を綿密に調査・分析することによって、明解な結論(仮説)を読者に提示することに成功している。しかも、その仮説はたいへん興味深く、論争提起的である。このような成果を得たことは、「公議」研究にとどまらず、静岡県の地域史研究にとっても裨益するところ大である。以上のような理由から、静岡県近代史研究会幹事会は、原口清先生記念研究奨励制度の受賞作品として申し分のない研究業績であると評価することができる。

第1回(2023)受賞作品2 

岡村龍男「清水港関係史料の所在と保存活用―『清水市史』編さんと“新発見”の袖師澤野家文書を中心に―」『清水港の歴史から見る日本とアジア~地方史研究の成果と課題~』(21 世紀アジアのグローバル・ネットワーク構築と静岡県の新たな役割・報告集 静岡県立大学グローバル地域センター、2023年3月)

 新たに自治体史を編纂する際の第一の課題は、以前の編纂時に使われた史料の性格と所在である。本研究は前半で『清水市史』編纂の過程を辿り、使用された史料が編纂後に公開されて利用に供されている状況を概観する。そして後半では、清水において大きな影響力を持っていた澤野家の新発見史料の内容と整理状況を紹介し、今後の活用について提言している。

 最初の『清水市史』は1964年に出版された「中巻」(天保の飢饉〜明治期)だが、編纂事業は戦前、1934年に遡る。既に清水市市制施行(1924年)以降の原稿だけで6000枚が成稿していたが、戦災による清水市中心部の史料焼失のため、中断を余儀なくされた。戦後になって昭和の合併で清水市に編入された周辺町村等の史料による編纂が開始されることになる。結局「中巻」の前後巻は発刊されず、1970〜72年にかけて6巻の資料編(中世、近世3、近代、現代)と76〜86年にかけて通史編(原始古代〜近世、明治維新〜大正、昭和60年まで)3巻が発刊された。近現代資料編の史料は、ほとんどが新聞資料を編年体で収録する形式だった。

 編纂の過程で多くの史料が収集されたが、編纂後に市に寄贈されたものについては文書目録が作成され、マイクロフィルムによる閲覧が可能である(清水中央図書館)。自治体によっては、収集された史料が編纂後は死蔵・退蔵される例もある中で、公開への筋道がつけられた清水市史のケースは好例と言えよう

 後半は“新発見”の澤野家文書についてである。澤野家文書からは『清水市史』執筆の際に多くの史料が「中編」や資料編に採録され、通史編等でも利用されてきた。文書目録によればトータルで3000点を超え、大多数が明治期以降の澤野家の経営(茶業や柑橘業など)に関するものである。特に明治初年から10年代にかけての清水湊拡張に関する史料は注目に値する。澤野家は名主の家柄だったが、初代袖師村長となった澤野精一は茶業・柑橘業における功労者として知られている。さらに三菱汽船清水支店を引き受け、横浜・清水の定期航路を開くなど清水湊の港湾機能と茶輸出の拡大につとめた。また、四代目〜六代目の鈴木与平はいずれも澤野家の血をひいているなど、両者の関係は密接だった。澤野・鈴木家の関係に加え、清水湊の拡張問題に関する史料が周辺地域である袖師に存在することの意義を筆者は強調する。

 興味深いのは、寄贈された澤野家文書にない記述が『清水市史』に存在することである。以前から疑問に思っていた筆者に、澤野家に多くの文書が残されているとの情報が入り、2021年から調査が開始された。内容は澤野精一の日記・澤野家経営日誌・金銭出入帳(文書目録から抜けていた幕末から明治末年にかけてのもの)、古写真(明治初年〜昭和初期)等で、その数は1万点を下らないと見積もられている。“新発見”された史料を静岡市所蔵分と合わせることで、澤野精一・澤野家の分析が可能となることが期待される 

 さらに筆者は、個人蔵の史料調査を実施するための実用的な提言を文末で展開している。近年、歴史学専攻の大学院生の激減により、史料調査を担う人材が不足している。しかし、近代文書を解読できなくても短期間で学習可能な他の業務(撮影・ナンバリング等)を実施できる人材をコーディネートすることで、調査の活性化が可能と指摘する。今後はむしろ社会人のボランティアを中心とする調査が期待されるが、この場合は予算措置がない方が、所属先に気兼ねなく参加できるという。調査=資金獲得という発想にとらわれがちだが、新鮮な指摘である。

 もちろん歴史資料をめぐる状況は、決して楽観できるものではない。以前は個人がもちきれなくなった史料を自治体に寄贈して調査という形態だった。しかし自治体の体力低下(文化財保護に加えて活用も担当する)を見越して、調査をおこなう側が、史料群が持つ意義をアピールする必要性を訴えている。

 多くの自治体史編纂や史料調査に従事している岡村会員の提言は極めて示唆に富んでおり、それが示した今後の史料調査の方向性は傾聴に値する。これらの理由により、静岡県近代史研究会幹事会は、原口清先生記念研究奨励制度の受賞作品に値する研究業績であると評価する。